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三日月の滝 平安時代 入水事件

 

 

高塚地蔵の原田氏(占い小屋、除霊、霊供養)より 

貴方は三日月の滝に住む  龍神様が守護神です。

三日月の滝温泉)

お名前は

天豊雲命(アマノトヨクモノミコト)

真言は オン メイギシャ ニエイソワカと唱えて下さい

この三日月の滝に身を投げた

小松女院と侍女全員の生まれ変わりの女性

が現れ 戒名も全員作成しました。

それを待っていたかのように 

木室ミヱ子さん貴方が出現です。

この「三日月の滝の写真」と

「三日月の滝物語の本」は貴方にお渡しします 

どうぞ

読まれて 瀧神様の心を供養して下さい

不思議な事に侍女の生まれ変わりと言われる

女性が二人

原田さんと巡り合う以前から

私(木室ミヱ子)の漢方薬を服用されています。

二人姉妹 妹さんが 峰雪(みねゆき) 

     姉さんが 薄雲(うすぐも)です。

 

このお二人二人姉妹のご両親が

原田さんに私の漢方薬を

紹介されての出会いです。

 

 

小松女院と侍女十一人が身を投げた事で瀧を汚され

龍神様はお怒りになられています。

今 小松女院は太宰府天満宮が

寺社を管理 御祭りしていますが、

龍神様の怒りは解けていません。

貴方が御祭りして 

この龍神様を供養されて下さいと託されました。

 

三日月の瀧物語

序文

豊後の国、玖珠の里魚返邑(さとがえるむら)の

「三日月の滝」の辺(あたり)に御歳20才程で

常人に似(に)ない、

高貴な姿の姫御、十二人が佇み(たたず)み、

装束(しょうぞく)を松の枝に掛け、

短冊(たんざく)を認(したた)めると、

矢庭(やにわ)に、滝壺へと姿を消していきました。

都より、清少納言の兄「清原正高公」を慕ってきた 

後醍醐天皇の孫姫「小松女院」と11人の侍女で、

滝の辺(ほとり)で

老樵(ろうしょう 木こり)に出会い、

既(すで)に「正高公」が婿入りしていたことを聞き、

悲しくも哀れなるかな三日月の滝の泡と

消えてしまいました。

平安の昔、 この片田舎(大分県玖珠郡玖珠町)で

おこった都の公達(きんだち)による

入水事件として今も語りつがれています。

瀧に身を投げた侍女名

梅前(うめのまえ)権現 

三位(さんみ)権現 

宰相(さいしょう)権現

侍従(じじゅう)権現 

小督(こづう)権現 

小少将(こしょうしょう)権現

獅子母(ししぼ)権現

初音(はつね)権現

峰雪(みねのゆき)権現

薄雲(うすぐも)権現

三臈(みご)権現 として 

※木室ミヱ子

龍神様の怒りを解き 供養して 平和にしなければ

また 生まれ変わりの侍女たちは

同じように 瀧に身を投げる可能性があり

龍神様の怒りを鎮めなければと思いました。

三日月の滝の編集本を拝読し

人の心の身勝手さに怒りに燃えた1週間でした。

これが 龍神様の怒りの心と思いました。

今 毎朝  薬局で龍神祝詞をあげています

 

 

本文は 私(木室ミヱ子)の手元に御座います。

長い爲 「序文」と「編集を終えてのみ」

ご紹介しました。

 

 

編集者

平成12年7月1日 初回発行

民謡 郷土史 書画 時事問題 野球 評論

編集者・イラスト  穴井 義則

編集を終えて

三日月の滝の物語をまとめるにあたり、

諸説あるもののなかで特に、

清原正高公千年祭を記念してつくられた

「船岡山」 をもとに、資料集めに 

約2年かかっての集大成と思っていますが、

遠くは伊勢神宮まで行き、

多気の博物館や熊本は小国の教育委員会、

福岡県浮羽町教育委員会、

大分は宇佐教育会などからファックスや郵便にて

資料を送って頂きました。

厚くお礼申し上げます。

また耶馬渓町宮園の雲八幡神社では

秋永宮司と探索して、正高公配流地、居所跡や小松女院と

の間に生まれた一子、正信公の墓も発見できました。

今後は他の説で五十八代小松の帝と言われた光孝天皇の后

が小松女院であったとの説もあり 

もっともっと思い探求してみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【滝壺に虹が出ているのを写した写真です】

写真では見えませんが

この滝壺に 榊を投げ入れたとたんに

虹がでました。

そして お神酒を流し入れ

この世の医療業界の在り方人間の欲ウイルス

龍神様にお願いしました。

「共にこの世を良くしていきたい」と

すると 不思議です

写真では良く見えませんが

滝壺から虹 赤青黄色緑はっきりと

出ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【滝壺に虹が出ているのを写した写真です】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【滝壺に虹が出ているのを写した写真です】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川の向こう側白い屋根の所に1本の松の木が御座います

装束を松の木に掛け 天延三年(西暦975年)9月29日

矢庭に滝壺へと姿を消してゆきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小松女院を御祭りしている瀧神社

太宰府天満宮が管理しています。

 

 

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