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本草綱目 北京語古文体翻訳 薏苡仁 ヨクイニン

 

 

韓国の建国大学

韓醫學博士 李豊遠

農學博士 全炳台 の協力のもと

翻訳が叶いました。

お二人に大変 大変 感謝です。

漢方薬を勉強される方の為に翻訳しました。

漢方薬は一つ一つの

単味の生薬の効能効果を掴む事で

処方を正しく使いこなす事が出来ます。

症状だけで漢方薬を選び患者さんに

処方すると言う事は

副作用を起こす事になります。

何故?

頭痛として漢方薬を選ぶとします。

頭痛の原因は色々あります。

脳腫瘍が原因?

貧血が原因?

風邪が原因?

筋肉の萎縮が原因?

虫歯が原因?

寒さが原因?

暑さが原因?

二日酔いが原因?

高血圧が原因?

低血圧が原因?

咳と選ぶとします。

咳の起きている原因として

肺臓の熱からくる咳が原因?

肺臓の冷えからくる咳が原因?

肺臓の乾燥からくる咳が原因?

肺臓の熱と乾燥からくる咳が原因?

肺臓の冷えと乾燥からくる咳が原因?

頭痛にも色々原因が異なります

咳も原因が異なります

頭痛 咳 だけで 処方が選べますか?

何が原因かにより

全く選ぶ 処方が異なります。

その漢方薬が

冷やす性格? 温める性格? 乾燥させる性格? 

潤わせる性格? 風を除く性格? 暑を除く性格 ?

風の邪 寒の邪 暑の邪 湿の邪 燥の邪 火の邪

が病気の由来による場合

薬の性格を掴んで処方する事が大事です。

どのような性格の処方なのか掴む事で 

正しく重病人の方が生きかえる程の

効能効果を発揮します。

それができなければ 

重病人に処方した場合

死に至らしめてしまいます。

漢方薬に 副作用は有りません。

副作用は処方する人が処方間違いをした事により

発生するのです。

副作用を発生させないためには

醫方集解に記載されています。

漢方薬の風邪薬 

張仲景(ちょうちゅうけい)の傷寒論を制覇すべきです。 

風邪薬の種類の中には

発表之剤 攻裏之剤 表裏の剤 和解の剤 があります

上記の剤を全て制覇する事です。

風邪の症状を全て 掴まなければ

風邪から来ている症状であるのか

 持病から生じている

症状であるのかが判断できないからです。

重病な方に風邪なのに間違って 

血や気を補う製剤を与えた場合

たちまちに風邪が悪化し死に至らしめてしまうからです。

下記の剤

補養之剤 理気之剤 理血之剤 

祛風之剤 袪寒之剤 清暑乃剤 利湿之剤

潤燥之剤 瀉火之剤 除痰之剤 消導之剤 

殺蟲之剤 明目之剤 癰瘍の剤 經産之剤

全てを制覇する事で 治せない疾病は無いのです。

一人の方が ブドウ膜炎 アルコール依存症 不眠症

肝炎 間質性肺炎 肩凝り 頭痛 腰痛 

皮膚病 下痢 胃痛 過敏性大腸炎 クローン病

鬱病 等々 数多くの疾病をお持ちだとしても

上記の薬を 制覇すれば 漢方薬 のみで

全て 色々な病院廻りをすることなく 

健康な状態に戻してあげる事が出来るのです。

漢方薬を学んでいる方々の爲に

お役に立てる事を願って本文を記載致します。

著者

韓醫學博士 李豊遠

Donggukk-Royal University of America, LA

(米)Uuin University, Compton 博士取得

 

農學博士 全炳台

(韓)建國大學校 食品生命科學부 敎授

(日)東北大學大學院 博士取得

 

Mieko Kimuro

株)オータニ 漢方藥局

 

10.利水滲濕藥

37.薏苡明珠

薏苡仁Coixlachryma-jobivar.ma-yeun(Roman.)Stapf

東漢時代の始めの頃、

光武帝劉秀麾下(きか)の

馬援(マーウェン)は、

大きな戦闘で功を立てて将軍に

任命され、光武帝から信任される様になった。

紀元40年、

馬援(マーウェン)は光武帝の命を受けて

交趾(こうち)を征伐するために出征の途に登った。

交趾は今の越南、河内北地域で、

当時は荒廃した土地だった。

然るに、この地方は薏苡(よくい)と

呼ばれる食物が栽培されていた。

薏苡の実は米仁(ベイジン)言うのだが、

今は普通、薏米(ヨクベイ)と呼ばれる。

平常時、

これを度々食べると、身体が健康になり、

中国の南部地方の森林地帯に流行る

マラリヤ等の予防にも役立った。

そこで馬援(マーウェン)は薏米薏米(ヨクベイを継続して食べていた。

間もなく馬援は交趾を陥落させた。

ある時、彼は薏米薏米(ヨクベイを眺めながら

部下達に次のように言った。

「ここの薏米(ヨクベイ)は北部地方ではめったに

見られない程 米粒ががっちりしている。

これを我々の故郷に持ち帰って栽培したら良いだろうな。」

そこで彼は軍隊を率いて本国に帰る時、

一台の荷車に薏米(ヨクベイ)を満載して持ち帰り、

北部地方で栽培する事にした。

馬援将軍が首都に帰ったのを見て、

人々は荷車に積んだ荷物を見て囁(ささや)き合った。

「真珠と犀角(さいかく)を山程持って来たんだな。」

通常、南部地方の征伐に行った将軍達は、

宝物の真珠と犀牛(サイギュウ)の

骨である犀角を戦利品として持ち帰るのが

慣(なら)わしになっていた。

馬援(マーウェン)の軍隊は風土病である

マラリヤで少ない数の兵士を失った。

馬援(マーウェン)自身も首都に帰った後、

かなり重い病気に罹(かか)った。

ある日、

光武帝の婿である黄門郎(こうもんろう)の

粱松(リャンソン)が来て丁寧な見舞いをしたが、

馬援(マーウェン)は寝床から起き上がらず

寝たまま答礼をした。

粱松(リャンソン)が帰って行った後、

馬援(マーウェン)の息子は父親に聞いた。

「お父さん、粱松(リャンソン)は皇帝の婿です。

彼は大変な権勢を振るっているので、

朝廷では彼を恐れない人はおりません。

お父さんは何故起き上がって答礼をしなかったんですか?」

「俺は彼の父親と長い間交わった親友である。

彼がたとえ皇帝の婿とはいえ、

俺は彼より年長者であるのだから、

俺が起き上がって答礼するわけはないだろう。」

それから幾日が過ぎて、

馬援(マーウェン)は皇帝の命を

受けて五渓蠻にある夷族を征伐するために出征したが、

馬援(マーウェン)将軍は不幸にも

そこでマラリヤにかかって死んだ。

彼が死ぬ前に、

粱松(リャンソン)は

軍隊の監察の任務を帯びた欽差大臣となった。

馬援(マーウェン)の所に行った時も、

馬援(マーウェン)が来たにも関わらず、

座ったまま彼を迎えるのを見た

粱松(リャンソン)の部下の黄門侍郎達は不快に思い、

首都に帰ってから光武帝に上訴をした。

「馬援(マーウェン)はこの前の南征の時、

荷馬車一杯の真珠と犀角を持って来たのに

皇帝に何の報告もしなかった大罪を犯しました。」

傍に侍立ちしていた揚虚侯の馬武と干陵侯の侯昱も

一緒に謀略したので、皇帝は大いに怒り、

すぐに馬援(マーウェン)将軍の

新息侯の官職を剥奪(はくだつ)した。

馬援(マーウェン)の妻や息子は、

父親がいかなる経緯(いきさつ)で

皇帝の怒りに触れたのか知らなかった。

彼等は父親の屍(しかばね)を先墓にも葬れず、

洛陽の西側の郊外に土地を買い入れて埋葬した。

その後、

馬援(マーウェン)の妻や息子、

甥達まで縄付きの姿で宮中に入り皇帝に謝罪した。

「皇帝陛下、恐れ入りますが

小妾の夫がどのような罪を犯したのか

教えて下さいませ。」

光武帝は話した。

「聞くところによると、

馬援(マーウェン)将軍が交趾から帰る時、

多くの真珠と犀角を持って来たのにも

関わらずそれを報告しなかったので、

軽く罪を問い、新息侯の官職を剥奪したのだ。」

馬援(マーウェン)の妻は泣きながら上申した。

「小妾の夫は陛下に忠義を尽くした人です、

どうしてそういう事が有り得ましょうか。

彼が交趾から帰る時、

確かに荷馬車一台分の荷物を持って来ました。

しかし、

それは薏苡という穀物の実で、

そこの薏苡は粒が大きく真白い艶があるので、

あたかも真珠のようでした。

陛下、小妾の家に今も少なくなり

薏苡が残っていますから

これを証明する事ができると思います。」

光武帝は初めて馬援将軍が冤罪(えんざい)の

ために官職を剥奪された事を知り、

前の命令を取り消して、

馬援(マーウェン)の棺を先祖の墓地に移葬させる様にした。

この事があって、後日、

「薏苡明珠(よくいめいしゅ)」

という言葉が使われる様になった。

この言葉は、

潔白な人が他人の謀略に陥って

恨めしい汚名を被った時に使われる様になった。

薏苡の薬名である薏苡仁(よくいにん)は、

滋養強壮、または排膿をし、

利尿にも良い薬である。

肺水腫、肺膿瘍、

また、尿が出ない時、肺結核にも良く、

アミノ酸(Amino)であるロイシン(Leucine)が豊富であり、

特に皮膚疾患に良い効果をもたらし、

皮膚癌にも卓越した効果がある。

 

 

 

 

 

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